【ゲスの極み】意識高い系の人を糧に爆速で成長する裏技

オンラインサロンってみんなで意識を高めあって 成長していきましょーって雰囲気な所は結構あると思います。

そりゃみんながみんな成長出来たらそれは主宰者側も参加者側も全員嬉しいですよね。

でも世の中そんなに甘くは有りません。

例えば何かの集まりに100人集まれば、だいたい10人ぐらい怠惰な人間が嫌でもあぶり出されてきます。

この10人はもともとその集まりにやる気があってきたので最初から怠惰だったわけでは有りません。

なぜ怠惰になってしまったかというと、単純に他の人の能力が高すぎて 萎えてしまって頑張らなくなっただけなんですよね。

同ランクの人たちが集まればレベル帯は流石に多少前後があるにしろ近いわけです。

ですが無差別に集まった集まりの中だと、強い人と弱い人の差が大きくなるのは明白ですよね。

これを言ってしまうと正義感の強い人は嫌悪を示すかもしれないのでそういう方はブラウザバック推奨です。

意識が高い人と低い人

今回の本題はココからです。

何かを頑張ろうとしたとき、例えばプログラミングのスキルを身につけたいと一念発起し 勉強を始めてある程度頑張っていると孤独感を覚えてしまいSNSで同じように頑張っている同士を見つけたくなります。

「#駆け出しエンジニアと繋がりたい」

ツイッターであればこのようなハッシュタグがメジャーでしょうか。

このタグには基本的には意識が高まった人たちが集まっているため、 一緒に頑張れる人たちの発言や同士の募集が垣間見えます。

いわゆる「意識の高い人」が集まっている場所ですね。

逆に「意識が低い人」とはなんなのでしょうか。

単純に言ってしまうと、現状維持・変化を嫌うを無意識に好んで自堕落な生活を過ごしている人です。

世の中の大半はこの「意識の低い人」に部類されます。

この意識の低い人は言い方を変えると「成長が止まっている人」という見方ができます。

意識高い系と意識が高いひとの違い

意識高い系の何がいけないの?

意識低い人よりやろうとしてる分良いほうでしょ!

っていう人が結構いるのですが、私から見れば意識低い人も意識高い系もどっちもダメダメです。

もちろん頑張るのは素晴らしいことですが「意識高い系」はそもそも頑張ってません。

頑張ってるふりをしているどころか頑張っていない人をバカにします。

挙句の果てに虎の威を借る狐モードになって他人の偉業をあたかも自分のように話してマウントを取ってきます。

これでもまだ違いわからない人のために、意識高い系がどんな人なのかを箇条書きしてみました。

意識高い系とは

  • 自己啓発本に書かれていることを頭だけで理解し実践した気になってる
  • 偉人たちの名言を借り、自分より意識の低い人間にマウントを取ろうとする
  • 本やブログで知識を得たので頑張ってみるものの、理想が高すぎて挫折
  • 土臭い努力が嫌なのでとにかく高い理想だけを追ってみるが実力が伴わず脱落
  • プライドが極度に高いので常に頑張ってますよアピールをSNSに書いたり周りにそう見せる
  • 口だけ立派なことを言いながらも結局何も成し遂げられてない
  • 挙句の果てにはねずみ講で搾取され成長してると思いこんでいる

上げたらきりがないので一言で言えば「やる気はあるようにみせかけて全く無い人」です。

現実の出来事に例えてみると

「#駆け出しエンジニアと繋がりたい」というハッシュタグを眺めていると 1・2年前からずっと駆け出しのままな人がちらほらいることに気付きました。

試しにその人のアカウントを見に行ったらまだ駆け出しってことはエンジニア1・2年目かなと思ったのですが 実際には行動すら起こしておらずPr○gateで入門ばかりをしている(それすらもしてない人もいる)人でした。

いわゆるこれが「意識高い系」です。

傍から見ると意識は高いのだけど、口先だけで何も結果を残さないので意識高い「系」を付けられて 意識低い人だけならず、意識が高い人からも軽蔑されています。

嘘は貫き通せば真実になりますが、意識高い系の人は貫き通せていないので結局嘘は嘘のままになってしまっています。

百歩譲って大学生なら卒業するまでは実務に携われないので駆け出しを抜け出せないのはしょうがないとしても 同じ大学生でも当時は駆け出しエンジニアでしたが、今その人のアカウントをみたらエンジニア就職どころかIT系法人を立ち上げていました。

その仕事が成功するかどうかは置いといて、これが実際に行動する人(意識の高い人)としない人(意識高い系)の差です。

意識高い系を利用して成長する裏技

ちょっと前置きが長くなってしまいました。本題に入りましょう。

ここまで見てもらった人は「意識高い系」がいかに愚かな存在であるかを理解してもらえたかと思います。

もし自分が「意識高い系」に該当するのであれば、今すぐ意識高い系から意識高い人にクラスチェンジしましょう。

今回はその方法をお教えします。

意識高い系と比較して成長する裏技

意識低い人はそもそもなにもしてないので比べるに比べられないですよね。

じゃあ意識高い系であれば実際頑張ってない人でも一応見せかけは頑張っているので、 自分と同じ土俵で頑張ってる人なんだなっていうカテゴリに含ませることが出来ます。

そこでアナタが土臭い努力を地道にしてめちゃくちゃ頑張ったとします。

そうすると同じ土俵にいる人よりも格段に成長しているという「比較」ができます。

もちろん、冷静に考えるとコイツ(意識高い系)は頑張ってないから頑張った私が成長するのは当たり前でしょ

ってなるんですがこれこそが裏技です。

は?って思うかもしれませんがこの

「コイツは頑張ってないから頑張った私が成長するのは当たり前」

この「相手より頑張ったから勝てた」という考え方が爆速成長ポイントなんですよね。

最初に言った「意識低い人」はそもそも比較出来ないから自分がいくら頑張っても 同じ土俵に居ないので成長を感じられないのは当たり前ですよね。

人間の脳って複雑な思考回路をしているのですが、実は結構単純なもので 何かと比較して成長しているというのを明確にすると自信を持つことができるんです。

いわゆる「数字は嘘をつかない」みたいな感じですね。

この手法って実はゲームを面白くするために使われていたり、 商品を購入する意欲を上げたりいろいろな形で取り入れられている手法です。

ただ今回紹介する「意識高い系」と比較する手法は いわば比較して成長するためのチュートリアル的な行為に当たります。

先程も言いましたが、「意識高い系」は頑張っていない動かない対象なので がんばったら確実に勝てる相手なんですよね。

既に成果を上げている人はこれを実際に頑張ってる人と比較して成長を続けています。

くじけないために

いきなり実践をしてもいいですが、頑張っている人は常に頑張っているので 比較すると自分の頑張りが足りていないという挫折をすぐに味わってしまい モチベーションが下がってしまい頑張らなくなってしまうんです。

こうなってしまうともはや「意識高い系」止まりになってしまうのです。

常に上を見て成長する必要はない

よく努力して上にいこうとする物事を見た時に

「常に上を見て成長し続けよう」的なことを言う人やそう書いてる本が沢山あります。

これは間違っては居ないのですが、人によっては挫折を多く味わうので 途中で投げ出してしまう手法とも言いかえられます。

私はどちらかというと常に上の人が居ないと成長を止めてしまうタイプなのですが、 それでも時々辛くなって疲れてしまうことがあります。

そんな時に自分より下の人を見て「自分は自分が思ってるよりも凄いんだ」と 自信をつけることでもっと上にいくぞ!って再び立ち上がることを繰り返してきました。

今回紹介した「意識高い系」をライバルとみなして成長する方法が いわば「下をみて自分に自信をつける」最も実感しやすくて簡単な方法となります。

ココまで見て「なんだ結局がんばるしかないのかよ」って思った人は一生意識高い系です。

頑張る人の糧になってください。

楽をするという行為は大事ですが、常に楽をしていては一定以上成長することは出来ません。

私も最近エンジニア関連の成長を実感できなくて、仕事以外では基本勉強しなくなってしまいました。

仕事でコード書いてプライベートでもコードを書くっていうのがちょっと疲れたのもあります(笑)

何度も言ってますが2021年では絵の勉強を始めました。

過去に何回か勉強したのですが何度も挫折を味わってきて何度目の挑戦かわかりませんん。

ですが今回紹介した下を見て成長する方法を取り入れてみると 過去に描いてきた経験値も合わせて下の人よりは上手な絵を描けてるんだなと実感してます。

そしてそれに自惚れず、しっかりと上をみて上手い人の手法を吸収し 基礎もしっかりと勉強して自分の絵のダメなところや苦手なところを洗い出して分析して 次描く絵に前回の反省点を考慮して描くと自分の中でかなり上達したなって実感できました。

なのでエンジニア・絵関わらずこの「下を見て成長する」という手法は何にでも使えます。

特に今回注目した「意識高い系と比較して成長する」という行為は まさに何にでも使える裏ワザ級の爆速成長法です。

今回の記事はここまでになります。

以下は今回の記事を書いているうちに思いついた「求める力について」です。

今回の「下を見て成長する」の原理にもつながるので暇があればみてやってください。

求める力を高めれば成長力がアップする

人間、建前は良い人ぶりたいのでしょうが窮地に立たされた時その人の本性が現れます。

極端な例ですが、例えば自分と他人が縛り付けられていて、 前方から高速回転しているノコギリが迫ってきているとします。

どちらかが死ねばどちらかが助かる仕組みになっていて 足元にあるボタンを連打すれば自分の迫ってくるスピードを抑えられます。

他人の定義ですが、お互いクズでどうしようもない人間と思っている嫌いな人間とします。

このどちらかが死んでしまうとどちらかが助かるというデスゲーム。

そうなった場合、大抵の人は生存本能も相まって相手のことなんてどうでもよくなり生き残ろうと必死にもがきます。

ここでストップ!

「クズなんか死んでも構わないから自分が生き残るべきだ」

この感情です。

これこそが成長の糧になります。

なんかファンタジー作品の人の憎悪から力を生み出す悪の親玉みたいなセリフになってしまいましたが、 この悪の親玉みたいな力の求め方こそが成長するための裏技です。

この例は生存本能が働いてしまって純粋な「求める力」ではないのですが、 生存本能というわかりやすい例で例えてみました。

もう1つの例として、前々からずっと欲しかった限定商品が残り1個という状態になり 同時に商品に手を伸ばしてどっちが先に取ったかわからない状態です。

こうなった時奪い争うぐらいなら別にいいやとか、お互い譲り合い精神がある場合は じゃんけんで勝ったほうが!みたいな展開になるのですが 基本的に物を欲している状態のときはそんな精神が働くことは稀です。

ここで「絶対に俺のもんだ!こんなやつに渡してたまるか!」という感情が湧いてきます。

この感情が湧いた瞬間こそが、最も求める力がピークになったときでもあります。

全然知らない他人だからこそ、「こんなやつ」という自分より下の存在とみなして考えるわけで 絶対に勝ち取ってやるという気持ちがめちゃくちゃ高くなるわけです。

これも単純化してしまえば「比較」なんですよね。

比較をすると「勝ち・同じ・負け」と結果がはっきりします。

勝ったのか?負けたのか?それとも同じなのか?っていう曖昧な状態だと 結局どうなったんだってなってしまうので頑張りが実ったのか足りなかったのかがわかりません。

これでは成長したかもわからないというわけですね。

だからこそ成長するためには比較という行為がとても大事になります。